会社の再生へ
追い詰められた稲田は悩みました。
どうしようもなくなった稲田は、藁にもすがる思いで、得意先の経営者の方に相談にいきました。
その方は個人的にも大変稲田をかわいがってご指導を下さった方でした。
そして、稲田のように経営に悩んだ社長の話をされたのです。
夫婦でもう自殺しようと二人で最後の杯を交わしているときに、奥さんがこういいました。
「お父さん、もうこれで死ねるのね。でも今死ぬなら、もう一度死んだつもりでがんばりましょう」と。
その言葉で、もう一度やってみようと奮起し、今は立派な会社に再生された、というのです。
この話を聞いた稲田は、「素晴らしい話だ」と思う一方で、今直面している資金繰りや倒産への不安は解消されませんでした。
一体、どうしたらいいのか。 稲田は憂鬱な気持ちで帰路に着きました。 自動車を運転しながらもハンドルを握る手は不安に震え、この先のことを考えれば考えるほど、その不安はぬぐいきれません。
ふと、ある信号で止まったときのこと。 不思議なことに、信号が青になりアクセルを踏んだ瞬間に、全ての不安が一瞬に吹き飛びました。 全て一からやり直そう、という気持ちが湧いてきたのです。
稲田は、その時のことを回顧し、「なぜ瞬時に気持ちが変わったのか。同じような境遇の方が再起された話を聞いたということもありますが、やはり、自分の会社再生へ強い願望が無意識の中で働いたのではないかと思います。」と。
社員との絆、誓いの血判状
気持ちを新たにした稲田は、すぐに会社に戻り社員たちと腹を割って話し合いました。
2日間、昼夜を問わず徹夜に近い状態で話し合いは続きました。
その時、社員たちから出た言葉は、やはり稲田の傲慢な経営に対する不満でした。
稲田は、社員たちの本心を知り「すまなかった。」と心から詫びました。
社員たちも、もう一度やり直すことを了承し、その誓いを胸に社員たちとの血判状をかわしたのでした。
そして、気持ち新たに社員たちとともに、銀行や仕入れ先にお願いに回りました。
かたくなだった相手先も次第に軟化して、何社かが「じゃあ、とりあえず当座の部品だけでも納品してあげましょう。」と部品を回してくださったり、銀行からも当座預金の凍結を解除していただくなど、うまく会社が歩みだしたのです。
社員とともに会社全体が、会社再生という同じ目標に向けて進みだしたことで、無事倒産を回避することができました。
一人で会社経営など出来るわけがない。
社員たちと共に一体となり経営していくことがどれほど大切なことかを稲田は痛感しました。
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- 6. 売り上げは倍々状態に 若き成功者へ
- 7. 傲慢経営からの悲劇
- 8. 会社の再生へ
- 9. 誓いの血判状
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