美容と健康ブームにのり、総合メーカーへ
社名を「ファミリー株式会社」に
社員と共に一体となる経営を行うことにより、会社は着実に成長していきました。
そして、1970年(昭和45年)3月に社名を「中央物産株式会社」から「ファミリー株式会社」へと変更します。
稲田は、「ファミリー」という社名に、社員との一体経営への思いを込めました。
なにか良い言葉はないか辞書をめくっていたときのことです。
「family」という単語が目に飛び込んできました。
意味を見てみると、「家族」「仲間」「同志」となっています。
「family」という単語は今では「家族」という意味であることは多くの人が知っています。
しかし、当時はまだ英語教育が発達していなかった時代です。
稲田にとって、その単語はとても目新しいものだったのです。
そしてそれは、まさに自分が目指す経営の形だと稲田は感動します。
社員たちとは、「家族」のように親しく、そして会社を創っていく「仲間」「同志」として経営をしたい。
そして、業務用が主流であったマッサージチェアを、家庭用として普及させたい。
まさに「family」はその思いをひと言で表現した言葉だったのです。
健康美容ブームの波にのり、経営の多角化に成功
ファミリー株式会社として、新たに歩みだした稲田は新ビジネスを展望します。
1970年代はまさに日本経済拡大の時代。
人々の生活は豊かになり、衣食住だけではない生活の楽しみにも目がむけられ始めた時代といえるでしょう。
そんな時代に稲田が目をつけたのが「美と健康」のブームでした。
多くの女性の、「美しくなりたい」「やせたい」というニーズにより、ぶらさがり健康器や美顔機などがヒット商品となり始めていた時代です。
稲田は欧米諸国の本場のエステサロンや痩身教室を視察するなど、新ビジネスの展開を模索しました。
そして、欧米諸国で出会ったエステサロンや痩身教室などに興味を持ちます。
欧米諸国ではすでに、美に対する産業が主流となっていました。
稲田は、日本でも今後大変大きなビジネスになることに目をつけたのです。
日本に帰ってきた稲田は日本人向けの美と健康をテーマにした新ビジネスを開始します。
新規事業チェーンで大ブレイク
まず、始めに着手したのが痩身教室です。 マシンと運動での痩身をテーマにした「プロポーションアカデミー」を開設します。 それはまさに、日本で初めての本格的な痩身教室です。
マッサージチェアの開発技術を利用し、ローラーマシンを使った痩身ノウハウを運動学の専門家と共に構築。ただ運動するだけではなく機械がサポートすることで、楽に痩せたい、という多くの女性の心を掴んだのでした。店舗は、全国に48店舗にまで拡大しました。
さらに、その3年後にはエステサロン「シモーヌ・マレー」をオープンさせます。
海外視察で出会ったフランス・パリでのエステサロン
「シモーヌ・マレー」に感動した稲田。
世界エスティックサロン協会の初代理事長が、この
「シモーヌ・マレー」の創始者です。
まさに、世界一流のエステサロンの日本への輸入に成功したのでした。
その他にも、ウエイトトレーニング製品の開発も手掛けました。 開発した油圧シリンダー方式のトレーニングマシンは、700カ所以上の施設に導入されました。
美と健康をテーマにした新ビジネスは成功を重ね、売り上げは100億円までになりました。
当時のマッサージチェアの売り上げ構成比は2割程度。まさに、美と健康の総合メーカーへの道を歩んでいたのでした。
創業者 稲田二千武ヒストリー 一覧
- 1. 両親の姿から「商売」の基本を学んだ稲田二千武
- 2. 独立心旺盛で、ビジネスの基本を体得する
- 3. ご縁に支えられ、いよいよ独立へ
- 4. 周囲の方々のご支援で事業拡大
- 5.「下請け」から半年で「提案企業」へ
- 6. 売り上げは倍々状態に 若き成功者へ
- 7. 傲慢経営からの悲劇
- 8. 会社の再生へ
- 9. 誓いの血判状
- 10. 美容と健康ブームに乗り、総合メーカーへ
- 11. 新たな決意
- 12. マッサージチェア専業メーカーとしての決意
- 13. マッサージチェア専業としての飛躍
- 14. 本当にお客様が求めているマッサージチェアは何なのか
- 15.マッサージチェアにエンターテインメントを
- 16.アイデアが生まれるとき、そしてこれからも挑戦は続く
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