ご縁に支えられ、いよいよ独立へ
歴史あるメーカー、橋本鉄工所で始まった稲田の仕事人生ですが、
終身雇用制まっただ中の昭和といえども、稲田は独立の道を選びます。
やりたい事業があったわけではありませんでしたが、
ただただ「独立したい!」そんな想いが強かったのです。
橋本鉄工所でビジネスの基本をすべて学ばせて頂いたことに感謝しながら、
彼は22歳で独立します。
ちょうど1962年の夏が過ぎた頃でした。
そんな彼の想いを受け止めてくれたのは、
仕入れ担当者として接していた仕入先の
「赤松木工所」の社長でした。
大阪市生野区田島町にあったご自分の木工所の4畳半を貸して頂き、「稲正万能工芸社」という社名でいよいよビジネスをスタートさせたのでした。
周囲の方々のご支援で事業拡大
初めにいただいた仕事は近所にある酒屋さんの棚作り、
次には繊維街の棚作りです。
当時は、まさに高度成長期まっただ中。
大阪の繊維街といえば、大変な盛況ぶりだったのです。
そうこうしている内に、マッサージチェアのボディをアッセンブリーする下請けの仕事が入ってきました。
ちょうど、創業から半年の頃です。
注文は次々と入ってきました。
しかし、注文は取れるものの、材料である材木を買う資金がありません。
そんな様子を見ていた「吉田木工」の社長が、
「稲ちゃんが本気でやるんなら、木材の支払いは売上回収してからで良い」
と資金面で融通して下さいました。
又下請けの仕事がいそがしく、仕事場がせまくなった時、
パチンコ台製造工場の一部を保証金0で、また安い料金で貸して頂きました。
赤松社長も吉田社長も、マジメに仕事に取り組む稲田に惚れ込んで、ご支援を下さったのでした。
創業者 稲田二千武ヒストリー 一覧
- 1. 両親の姿から「商売」の基本を学んだ稲田二千武
- 2. 独立心旺盛で、ビジネスの基本を体得する
- 3. ご縁に支えられ、いよいよ独立へ
- 4. 周囲の方々のご支援で事業拡大
- 5.「下請け」から半年で「提案企業」へ
- 6. 売り上げは倍々状態に 若き成功者へ
- 7. 傲慢経営からの悲劇
- 8. 会社の再生へ
- 9. 誓いの血判状
- 10. 美容と健康ブームに乗り、総合メーカーへ
- 11. 新たな決意
- 12. マッサージチェア専業メーカーとしての決意
- 13. マッサージチェア専業としての飛躍
- 14. 本当にお客様が求めているマッサージチェアは何なのか
- 15.マッサージチェアにエンターテインメントを
- 16.アイデアが生まれるとき、そしてこれからも挑戦は続く
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