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マッサージチェア専業としての飛躍
多くの事業を、段階的に手放すと同時に、本当に価値あるマッサージチェアを創るべく研究開発に
専念しだした稲田。
時を同じくして、マッサージチェアのニーズも広がり始めます。
これまで、農家や一軒家に置くイメージだったマッサージチェアが、マンションでも使える都市型の大きさやデザインに改良され、より多くの家庭で普及し始めたのです。
1990年代に入ると背中はメカで、脚はバイブレーションでマッサージするパーソナルチェアのようなスタイリッシュなマッサージチェアが登場。
さらに業界は拡大していきました。
多くの感謝を込めて工場移転へ
1994年、会社設立から長年基盤としてきた大阪の大東市から、故郷である鳥取県大山町へ
生産工場を移転しました。
マッサージチェアの生産が増える中で、工場を大きくする必要があったこともありますが、それ以上に、自分が生まれ育った故郷への恩返しと、地域活性化のために少しでもお役に立ちたいという思いから工場移転に踏み切ったのでした。
創業者 稲田二千武ヒストリー 一覧
- 1. 両親の姿から「商売」の基本を学んだ稲田二千武
- 2. 独立心旺盛で、ビジネスの基本を体得する
- 3. ご縁に支えられ、いよいよ独立へ
- 4. 周囲の方々のご支援で事業拡大
- 5.「下請け」から半年で「提案企業」へ
- 6. 売り上げは倍々状態に 若き成功者へ
- 7. 傲慢経営からの悲劇
- 8. 会社の再生へ
- 9. 誓いの血判状
- 10. 美容と健康ブームに乗り、総合メーカーへ
- 11. 新たな決意
- 12. マッサージチェア専業メーカーとしての決意
- 13. マッサージチェア専業としての飛躍
- 14. 本当にお客様が求めているマッサージチェアは何なのか
- 15.マッサージチェアにエンターテインメントを
- 16.アイデアが生まれるとき、そしてこれからも挑戦は続く
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