新たな決意
美と健康の総合メーカーとしての成功の道を築きあげた稲田でしたが、ある出会いをきっかけに新たな決意をします。 それは、当時京セラ株式会社の社長であった稲盛和夫氏との出会いでした。
自分がビジネスの成功者として歩み、また自分だけではなく社員との一体経営を主軸にしていた当時の稲田に稲盛氏の言葉が胸に深く刻まれたのでした。
これまでは、「良い会社にしよう」「会社を大きくしよう」などと社員や社会に対してどうあるべきかを考え経営をしてきました。
しかし、稲盛哲学に触れるうちに「人として、人間として何が正しいのか」「自分の人生の使命は何か」と、自分の経営者としての価値を見つめなおすようになりました。そして、心の奥にずっとあったある思いが湧き上がります。
自分のこれまでの人生を考えたときに、今の自分をつくったものは何か。
それは、22歳で創業し出会った「マッサージチェア」であるのではないか。
1980年当時、マッサージチェアの普及率は横ばいになり、これ以上ビジネスは広がらないのではないか、という思いを持っていた自分に問いかけます。
「本当に魅力ある製品を生み出せていたのだろうか。」
よくよく考えていくと、マッサージチェアは日本が生み出した独自の文化、つまり
「日本が生んだ唯一の文化的健康製品」ではないか。
健康機器を取り扱うメーカーである自社製品の中で、「予防医学」という観点で、しかもこれほど「気持ちよく」健康になれる製品はマッサージチェアであることを、あらためて深く実感したのでした。
マッサージチェア専業メーカーとしての決意
マッサージチェアという、自分の経営者人生の架け橋となった製品であり、健康のためにこれほどまでに必要とされるものを、日本だけではなく世界中の人々の笑顔のために価値ある製品を作りたい。
稲田は、マッサージチェアを日本に、そして世界に広げていくことを、自分の人生の使命とすることを決意したのでした。
稲田は、この思いを社員にぶつけました。
マッサージチェア以外の事業でも成功している中で、マッサージチェア事業のみにすることについて、社員たちは驚き、反対の声ももちろんありました。
しかし、稲田は情熱的に社員に語り続けました。
「マッサージチェアを本当に価値ある製品として作り上げ、世のため人のためになるものづくりをするには、専業として専念していく必要がある。
マッサージチェアを本当に価値あるものとして、全社員が「世界の家庭に一家に1台マッサージチェアを」という夢を共有し会社を作り上げていくという大きな夢を持ちたい。」
そんな稲田の確固たる覚悟と熱意を社員たちも深く共感し、ついに全社員が同じ思いで事業をマッサージチェアー本に専念する方向へと進み出したのです。
創業者 稲田二千武ヒストリー 一覧
- 1. 両親の姿から「商売」の基本を学んだ稲田二千武
- 2. 独立心旺盛で、ビジネスの基本を体得する
- 3. ご縁に支えられ、いよいよ独立へ
- 4. 周囲の方々のご支援で事業拡大
- 5.「下請け」から半年で「提案企業」へ
- 6. 売り上げは倍々状態に 若き成功者へ
- 7. 傲慢経営からの悲劇
- 8. 会社の再生へ
- 9. 誓いの血判状
- 10. 美容と健康ブームに乗り、総合メーカーへ
- 11. 新たな決意
- 12. マッサージチェア専業メーカーとしての決意
- 13. マッサージチェア専業としての飛躍
- 14. 本当にお客様が求めているマッサージチェアは何なのか
- 15.マッサージチェアにエンターテインメントを
- 16.アイデアが生まれるとき、そしてこれからも挑戦は続く
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