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「下請け」から半年で「提案企業」へ
仕事は順調に舞い込み受注も増え、一人で対応するには限界になりました。
しかし利益を考えると安易に人は増やせません。
元経理マンだった稲田は、財務についてよくわかっていたので、
利益率を考慮すると「社員を増やすことはできない」と気づくわけです。
そうなると一人で身体が持ちません。
稲田は考え込みました。
「いつまでも下請け仕事じゃダメだ。付加価値の高い商品を作らないといけない。」
そこで、自分なりに試作品を作り、元請け会社に売り込むことにしたのです。
通常業務をこなしながらも試行錯誤を重ね2ヶ月で試作品を完成させました。
当時作っていたボディは、真四角で座りにくいだけでなく、デザイン性やコンパクト性にも問題がありました。
この様な問題点を解決した改良品を提案したのでした。
ラワン材だった材料をデコラ張りやパイプに変更。
そうすることで、加工時間は短縮され、材料費も削減。
さらに、デザイン性やコンパクト性を高めた試作品は元請け会社にとっても良いことずくめです。
反応はすこぶる好評で、
「これなら見た目がいい」
「コンパクトだし、風呂屋だけでなく、ヘルスセンターや富裕層の家庭にも納品できる」と即採用。
そして、もちろんヒット商品となりました。
それまで、日産1台がいいところだったのが、改良品では加工時間を短縮したことで、日産3~5台を作れるようになりました。
さらに付加価値をつけたことで以前よりも高額で買い上げてもらえたのです。
創業者 稲田二千武ヒストリー 一覧
- 1. 両親の姿から「商売」の基本を学んだ稲田二千武
- 2. 独立心旺盛で、ビジネスの基本を体得する
- 3. ご縁に支えられ、いよいよ独立へ
- 4. 周囲の方々のご支援で事業拡大
- 5.「下請け」から半年で「提案企業」へ
- 6. 売り上げは倍々状態に 若き成功者へ
- 7. 傲慢経営からの悲劇
- 8. 会社の再生へ
- 9. 誓いの血判状
- 10. 美容と健康ブームに乗り、総合メーカーへ
- 11. 新たな決意
- 12. マッサージチェア専業メーカーとしての決意
- 13. マッサージチェア専業としての飛躍
- 14. 本当にお客様が求めているマッサージチェアは何なのか
- 15.マッサージチェアにエンターテインメントを
- 16.アイデアが生まれるとき、そしてこれからも挑戦は続く
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